Wizardry

Wizardry 5 Heart of the Maelstrom

Wizardryの第5弾にして、一気にボリュームが増したのが、このHeart of the Maelstromです。
非常に評価が高いとされている1作で、これ以降のWizardryとはある意味で線引きされるものだといってもいいでしょう。
ですが、実際には5作目以降がデイヴィット・W・ブラッドリー が開発を行っていったものであり、6も7も同じ考えの中にいたりするわけです。
あとでこういったことは知ったのですが、私は5が好きじゃありません。
その理由は、緊迫感の欠如でしょう。
マップも正方形の中に納まらなくなり、オートセーブも選択式になりました。
この時点で、自由度が高まった反面、それまでの一歩歩く恐怖が消失し、必要のない世界が出来上がったといってもいいはずなのです。
しかし、6作以降と比べて、1作目のイメージを引き継いでいるため、高い評価を受けたりもするのでしょう。
私のとっても、すでにドラクエと変わらんじゃんというのが感想だったのです。(まー中身は違いますが)
いろいろ親切になるのはいいんですが、親切だから面白いというわけじゃないんですよ。
不便だからこそ、その中に面白さを見つけ出そうとした時代で、何でもかんでもできればいいという現代のゲームの過渡期だったともいえるかもしれません。

文句をつける最大の理由は、私の持っていたのはFM-Towns版で、グラフィックが末弥純ではなく、幡池裕行だったということだったかもしれません。
正直、今やってみると面白いのだろうという気はします。
SNES版もPCE版ももっていますので、やることはできるのですが、なぜか手が出ません。
だったら、6と7をもう一度と思ってしまうのは、私は間違いなくHeart of the Maelstromが嫌いなんでしょうね。

Wizardry 4 The Return of Werdna

わたしがWizardry1をのぞけば、これほど楽しんだものもないだろうというのが4作目にあたるThe Return of Werdnaです。RPGでありながら、アドベンチャーの要素が色濃く、謎解きをしなければ進むことができない作品になっています。
たぶん、今の人たちが遊ぶと、すぐに投げてしまうぐらいの難易度も持っているのです。

なんでそんなに難しいのさ?って言われるかもしれませんが、まず一つ目がシナリオがロー・アダムスに代わったことがあるでしょう。
ウルティマ4のシナリオライターでもあった彼は、それまでのWizardryを楽しんできた人たちに、挑戦状をたたきつけたからです。
解けるもんなら解いてみやがれと!
それも、1から続く話として、主人公は1のボスでもあったWerdnaであり、彼が奪われたアミュレットを取り戻すために、あーでもないこーでもないと苦労する話なのです。
今でいえば、オマージュ的と呼ぶかもしれませんが、そんなことは断じてありません。
ただ単にマゾヒストがおーやってみろやといって用意したのが、この4であると断言してもいいでしょう。

うんじゃつまんないのかといえば、かなり面白いです。
システムは、今までのものを継承しながら、Werdnaとしてモンスターを召喚士たたかわせます。
ですが、いうことなんぞ聞きません。
戦闘中だというのに、それまで同様に明かりをつけてみたり逃げちゃったり、好き勝手に暴れてくれるのです。
・・・Werdnaって苦労してたのねってわかりますよ、はい。

あまりに特殊で、難易度も高すぎたためにFCやSFC版も発売されず、コンシューマ版としてはPCEが最初でした。
PC版が難しすぎたせいか、PCE版ではいろいろと手が加えられ、レベルも上がるようになるなど日本人向きに味付けが変えられています。
といっても、実は5のほうが先に発売されていたりするのも、日本人には宗教的な部分も含め理解できないからというのもあったのでしょう。
現在のよくわからんWizardryをやるぐらいなら、こっちのほうがはるかに面白いんですけどね。

Wizardry3 Legacy of Llylgamyn

Wizardryの3作目にして、初めて潜らなくなった意欲作。
今度は上に上がるわけですが、2同様に6階層になってます。
ボリューム感の低い作品であるかのように映りますが、実はこれがとんでもないことで、善悪の2パーティで攻略しなければいけないという問題がついて回るのです。
そのために手間がかかるだけではなく、獲得できるEXPも低いために、とんでもなく手間がかかります。
そして、上級職用のアイテムが少なく設定されていることも、難易度を引き上げた要因となりました。
まー我慢すれば、後半は楽勝となりますが、前半戦は本当の地獄が待っているといってもいいでしょう。
わたしは、大っ嫌いな3でして、すぐに1に戻りました。

その割にはFC版も持っていましたし、今でもPCE版があります。
PS版もほしいですが、びっくりするほどの値段がついていたりすることもあり、リルガミンサーガは購入していません。
PCE版は、別に販売されたI&IIをクリアしたキャラを転生させることで、ほかにはない7階に挑むことができるようになっています。おまけというレベルを超えた強さが待ち受けているわけですが。

ここまでのシリーズで、Wizardryはある意味で完結します。
4は、また違った作品となり、システムとしても変わりますし、5は新たに1を作ったらといった感じで、すべてを見直してリニューアルした感があります。
それもそのはず、1をつくったグリーンバーグもウッドヘッドもいなくなり、全く別の人が作り始めたことにより、新たな作品として生み出されたからなのです。
6以降は・・・ある意味で迷走であるととらえることもできますが。

Wizardry2 Knight of Diamond

Wizardryの第2弾にして、スラッシュ&ハックということを明確にとらえて出された一本。
好きな人は大好き、嫌いな人は大っ嫌いという、好みがはっきりと分かれるWizardryになっているといっていいでしょう。
私はといえば、3よりは好きで1よりは嫌いでした。
結局、1をやり続ける羽目になったのは、何よりも明確なボスが存在せず、ダンジョンも6回しかなかったことでしょう。
冒険というよりは、謎解きが終わればアイテム集めという方向性だったので。
3は・・・また後述。
正直言えば、完全に育ち切っていたキャラならば、装備がなくてもあっという間にクリアできたのです。
このころは、PCソフトも1日でクリアできるものが少なくなく、それがかえってつまらなかったというのが、あまり好まない理由でもありました。

このダイアモンドの騎士はFC版では順番が違います。
なぜかといえば、キャラクターの転送ということがカギになるため、発売の順番を変えられてしまったのです。
というのも、新規キャラ作成ができないため、どうしても転送しなければいけなかったわけで、FCではターボファイルがないとできなかったというわけ。
マーケティング的にも問題があったために、Wizardry3を2として発売していることから順番が違うのです。
このあたりも大人の事情ではありますが、Wizardry好きは、こぞってターボファイルを買ったはず。
なにせ、ロードがないんですから、これ以上Wizardryはないとばかりにそろえたでしょう。
PC版は好きでもなかったKnight of Diamondは、FCで大好きになったのも、このターボファイルのおかげだったのです。
ターボファイルIIやターボファイルアダプターなども発売され、SNES(SFC)でも使うことができるようになったのも、実はWizardryVにキャラ転送するためだったという、すべてがWizardryに汚染されていた人たちの怨念だったかもしれません。

Wizardry1 Proving Grounds of The Mad Overlord

言わずと知れた大作で、ゲームというものを変えた存在であることは間違いないでしょう。
このゲームにはまった人は数知れず、寝ないでやった人も多かったものです。
うちにもPC98版からスタートし、FC版やPCE版が存在し、危うくAppleIIまで購入するところだったいわくつきのゲームでもありました。

内容を考えれば、現在でいうところのスラッシュ&ハックの元祖であり、9階までの道のりと、10階を別のゲームとして分けることができます。
9階までは成長や冒険を楽しんでいるものの、10階になるとそんなことは鳴りを潜め、ひたすらにアイテムを探し集めていくことになるでしょう。
それがあまりにも新鮮で、子供だけではなく大人たちも夢中になったのです。

緊張感ということでも、Wizardry1はかなりのものでした。
死ねばそこで終わる可能性がありますし、テレポートすれば石の中にいるかもしれません。
座標も正確でなければ、どこに行くかわからず、戻れないこともあるのです。
おまけに、魔法はコマンド式ではなく、スペルを打つことで詠唱に入るため、正確にキーボードをたたく必要まであり、呪文もみな覚えたものです。
確かに短縮して入れられたり、のちに選択型になったりと便利に変わっていったことはありましたが、それでも魔法は万能でもなく、邪魔はされることはよくあり、効かないやつもいたりと、その時々で緊張しながらゲームしていたといっていいでしょう。

Wizardry1は、3Dダンジョン型の基礎ともなっていきましたが、それだけ特別な存在だったのですが、今考えれば親切な今のゲームから比べれば、つまらないと評価されるかもしれません。
なんでもサポートを受ける現代のゲームに比べれば、あまりに突き放した設計でリアリティが強すぎる面はありますが、今のぬるま湯のようなゲームとは違うロマンが、ワイヤーフレームと文字の世界にはあったといえるのです。

現在もシリーズはいろいろな会社が出していたりしますが、決して同じものでも流れが統一されたものでも、後継でもありません。
この1と同等に語れる存在は、1だけしかないからです。